長野堰土地改良区は、群馬県の西南部に位置する高崎市が受益地であり、利根川水系一級河川烏川を主水源として、烏川左岸、井野川右岸一帯の南北6㎞、東西13㎞の区域をかんがいしている。
高崎市は交通の便は良く、上越・信越・北陸新幹線や関越・上信越・東関東自動車道が通過しており、高崎駅東口よりの国道354号線バイパスが全線開通し、高崎市都市計画の広域道路等の整備も進んでいる。
なお、都市の発展に伴い住宅団地、工業団地、一般住宅等も多数見うけられ、農用地転用も増大している。
地勢は、北西より南東にかけて1/600~1/1000の勾配をなし、標高は上流部で105m、下流部で72m程度であり、概ね平坦な二毛作地帯である。
管内の農用地は水田を主としているが、畑も数多く点在している。
又、近年は麦作にかわり、野菜及び花木等の栽培もさかんに行われている。
地質は三期層を基盤とし、その上を第四期の礫、砂、関東ロームが覆っており、概ね肥沃である。
天候は比較的温暖で、冬から春にかけて乾燥した季節風と晴天が続き、雨量は夏多く冬は少ない表日本型気候である。
本幹線水路は高崎市を西から東に流下している改良区の基幹的な農業用水路である。
この水路の基は、今から約千百年前、阿保親王、在原業平を祖とする上野国守長野康業により開削されたと語り継がれている。
なお、戦国時代(室町時代)長野信濃守業政(箕輪城主)により今の長野堰の原形に整備された。
江戸時代には、高崎藩の郡奉行所、堰奉行所が設置されこれらが監理し、明治になってからは、長野堰水利土功会と関係町村会の合同で監理された。
明治23年6月水利組合法(法律第46号)により長野堰普通水利組合が組織され、各市町村より選出された組合議員により、維持管理及び配水の管理等が昭和26年2月土地改良法が制定されるまで行われた。
法制定後は長野堰土地改良区となり現在に至っている。
長野堰は、別名大堰又は西新波堰とも称された。
長野堰頭首工は、群馬県高崎市本郷町字下長前に位置し、利根川水系一級河川烏川の水流の取水を水源とし、また、水利状況として榛名湖、里見川その他の河川を補助水源としている。
烏川は、その水源を上信国境の山脈に発し榛名山南麓を流下、高崎市において碓氷峠より発する碓氷川を併せ、利根川に合流する。
現在の三面コンクリート化された幹線水路(W4000×H1200)は、長野、六郷地区を径て、高崎市街地を流下し、江木町にある円筒分水堰までの約8.6kmとし、円筒分水堰から下流4線は、地獄・鳴上(上中居)・矢中・倉賀野堰となる。
長野堰用水は、かんがい用水として利用される他、防火用水、高崎城趾公園のお濠の水などの環境美化用水に寄与している。
水路添いには遊歩道、サイクリングロードや水路上のポケットパーク(小公園)が整備され、それに沿って咲く四季折々の花々と草木、長野堰用水を身近に感じ住民はもちろん多くの人々の憩いの場となっている。
高 崎 城 趾 公 園 の お濠 | 水路上のポケットパーク(小公園) |
平常時烏川の水量は少なく、常に用水不足をきたし、古来より水争いの激しいことは県下有数のものであった。
これを解消するために明治37年榛名湖隧道開削、昭和7年素堀水路を石積に改修など先人達の苦労は大変なものがあった。
その後、県営事業によりそれらの水路を三面コンクリートに改修(S28~48年度)、頭首工の全面改修(S48年度)、遠隔操作の導入や電動水門等を整備(S54年度)し維持管理も容易になった。
現在は管理省力化された中央監視装置で頭首工以下幹線水路に設置の各水門を自動制御し、利水と治水に威力を発揮している。
幹 線 水 路 沿 い 風 景 | ||
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